公と共と私たち
協働する私たちのコミュニティストーリー (2/4)
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科学の言葉、生活の言葉

この事例に、なぜ社会教育が注目するかというと、単に社会運動として成果を上げただけでなく、その中で住民が学んだのが自治であるからです。自治の主体は自分たちで、地域のあり方を自分たちで決めるという大前提を守っていく価値に改めて気づいたんです。生存権は生活保護や憲法25条の問題に結び付けられますが、自分たちが人間らしく生きる時には、自治・自己決定権が不可欠です。ただその自己決定権は、単に個人が自由に好きなように生きるという話ではありませんね。自分たちの生活の前提である水や土地や空気という日ごろ意識しないものが、自分たちの意志に反して奪われていく。安全だと言われたのに汚染され、かつてとは全然違うものに置き換えられてしまう。「これは許されるのか?」という思いを持つことで、自分たちの生存の前提や基盤に対する集団的な決定権、皆で話し合って決めることの重要性の意識化に繋がります。そうした自治の主体としての自己を、運動の経験を通して皆が知っていきました。そのためには感情的な発言だけではなく、システムの側が扱っているテクノロジーやリニアモデルの概念で語られる言葉の意味を、自分たちなりに考えることも必要になります。

藤岡貞彦先生がこの運動に一番注目されましたが、そこで面白いのは、「分かる」ということは、例えばCO2濃度という概念を教科書上で、つまりサイエンスの世界での合理性を理解することとは違うということです。むしろ、自分たちの日常生活の中に落とし込んで、感性レベルで理解すること(「感覚的に解釈する」)が目指されました。私なりに解釈すると、日常生活の感性を離れて、理性的なレベルだけで問題が語られ、数学の問題を解くかのように〇×の世界で合理性を確認することが分かることではなくて、自分たちの肌で感じている生活世界の中に科学の言葉を埋め込む。そこには水や空気、土地という大前提になっているものや、人と人との関係があり、そこに連なる自分たちの農漁業や暮らしがあります。それは言葉にできていなくても、無意識のうちに前提にしていたものであり、それとリンクさせる形でシステムが使っている言葉が消化され理解されることが「分かる」ということです。そうした理解を深めていかないと、自分たちの地域が守れないし、自治はそういう内容を含むというように考えたんですね。これは今から50年以上前の話ですが、社会教育の実践として学ぶべき点や大きな示唆を与える取り組みだと思います。

宮崎隆志

その集団的な自己決定の自覚が芽生えたのは、無意識の生活の基盤について、自分たちなりに理解しないと守れない状況が生まれたのがポイントですね。三島沼津では、その意識していなかったものが意識されることができたのでしょう。

その一方で、自分たちが意識できないものを問い直すことは、建前化・空虚化もしやすいです。それに対してダブルバインドを体感するあり方には言語的なものではなく、やはり感性的なものも必要なのでしょうか?

山内泰

その問題については、真壁仁さんの活動が参考になると思います。彼は1970年前後に山形県農民大学の中心になった人で、農民であり、詩人でもあって、昔の国語の教科書に『峠』という詩が採用されたこともあります。真壁さんは地域の文化をとても大事にしていました。1960~70年代は農業の近代化に向けた構造改善事業が本格化していて、東北地方にも「装置化・システム化」という言葉の下で、近代的な大型機械がどんどん入ってきました。

それに伴い農村にも、当時の農林省の官僚が机上で作った言葉がたくさん入ってきて、それによって農業の近代化という未来が語られる。そうした官僚たちの言葉に対して、真壁さんは暴力性を感じて猛烈に反発し、抵抗する言葉を対置しました。例えば2月に降る雪のことを方言で「木の股裂き」と言うそうです。2月の湿った雪が木を折ることに由来します。その言葉には土地に生きる感性や文化が全て含まれていて、それらを共有していない人には分からないけれど、その土地で自然と関わりながら農業をやってきた人間なら誰でも分かる感性と連続しているんです。

この体に感じる言葉として落とし込んでいく理解の仕方は、日ごろは意識できないものですが、真壁さんは生活の言葉と暴力的な言葉のコントラストが強く働く状況の中で、逆にローカルな言葉の意味を照らし出したわけです。さらに、そのような地域文化や言葉を農民自身が否定するような状況、つまり農民自身に内在する加害者性を自覚することによって、農民大学運動を人間存在の回復運動として意味づけるようになります。そのように、ある種のダブルバインド状況、矛盾した状況が目の前に置かれた時には、心理学者エンゲストロームの言葉を借りれば、その矛盾が「レンズ」になるんですね。それまでの状況の中では見えなかったものが見えるレンズになって、自分たちが意識してこなかったものの価値を照らし出すことが起こる。そして、この「レンズ」は、三島沼津の住民運動でも住民自治の価値の発見へと導く媒介項として生成していたと思います。

宮崎隆志

日常生活の前提が崩れた時、世界観の捉え直しが始まる

真壁の農村でも三島沼津でも、それまでの日常が農業の近代化や工業化によって根底から揺らいだ時に、自分たちが前提にしていた様々な文化や生活、価値観が一挙に見える「レンズ」が生まれたということですね。その時、人々にはどういう変化が起こるのでしょうか?

山内泰

そうした日常の前提が崩れると、日常という狭い世界を支えている大きな世界への理解の仕方、つまり世界観が揺らぎます。現代でも、新型コロナ感染症や3.11、ウクライナでの戦争によって、私たちの世界観は揺らいだのではないでしょうか。それらによって、今まで何らかの信頼を寄せていた外側の大きな世界との関係を考え直すことが突きつけられる。自分たちが前提にし、当然視していた暮らしの論理が、暮らしを危機に陥れるからです。すると、大きな世界を描いていた自分たちの物の見方・考え方や価値意識を問い直して、新しい世界の把握の仕方や、外側と内側の世界をリンクさせる仕方を考えるためのモデルが必要になってきます。

そこで自分たちは身近な世界しか知らないから、大きな世界は専門家にゆだねるしかないと考えた時に、専門家や国家による支配という危険な方向にいってしまいます。そうではなくて、日常生活を作ってきた主体が、たとえ小さな世界であっても、それを築くために発揮している能動性に基づき、互いに学び合ってきた経験をシェアして、もう一度大きな世界を把握するための枠組みを作ること、つまり学習実践が必要になってくるんですね。

宮崎隆志

今まで信頼していた世界観を捉え直し、繋ぎ直す時に重要なことは、それを専門家にゆだねないということですね。

山内泰

そこが決定的なところです。あの福島の3・11での事件の後に、母親たちが子供に何を食べさせればいいか分からなくなったことがありました。その時、ある公民館が健康学習に取り組んでいました。通常は食品に残留する放射線量を検査して、基準に照らして安全かどうかという情報を提供するべきと行政は考えるし、専門家も基準を明確に示して、安全かどうかの判断ができるようにすることが役割と考えます。しかしその公民館は全く違って、例えば米が人間の体のエネルギーになっていくメカニズム、つまり食べたものが人体の中でどう吸収されていくのか、どんな成分がどの部分に蓄積され形を変えていくかという代謝過程から考える学習をしていました。当初は、母親たちは子供に食べさせたものがどんな風に作用するか知らず、何が健康と言える状態なのかもはっきりせずに、漠然とした不安を持っていました。そこで栄養学的に、人体と食べ物をもう一度考え直す学習を始めました。そうして日々の暮らしの中で何となく良い/悪いと思っていた事柄の科学的な根拠を、改めて自分の生活の中で把握して、はっきりとした自分の言葉にできたんです。感情的な不安はセンサーの役割を果たすけれど、専門的指標が持っている意味は、自然と人間の関係を含む暮らしの実態を把握しないと分からない。曖昧な理解のせいで日常の暮らしの中でも自らが健康を損ねていたことにも気づいたときに、健康問題に取り組む主体が形成され、科学的知識を我が物にしていく。その学習も同時に進めながら、親たちは福島の問題を理解していったんですね。

宮崎隆志
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宮崎隆志

北海道大学名誉教授
大学院教育学研究院では、地域社会教育の学習論をテーマとしていた。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員