個人は様々な考えを持ち、それぞれが矛盾や葛藤を持って生きています。できればそんな悩みを持たず暮らせる社会があれば、と考えることもあるでしょう。しかし宮崎さんによると、その矛盾こそが、当の社会を見直し、変容させるレンズとなります。つまり、私が抱えているこの矛盾は、社会の様々な歴史や意識しない前提条件を写し出す鏡であり、その可視化によって社会や共同体へのアプローチが変わっていくのです。 さらに宮崎さんは、それを単に個人の行動の変化と考えるのでなく、個人の生活を支えもし矛盾を突きつけもするコミュニティの変容につながる次元を探求されます。そこでは矛盾や悩みを克服して競争や成功に突き進む強い個人の集まりではなく、弱さに打ちひしがれた人たちが協働する中で、それぞれが抱える矛盾を分かち合うコミュニティが構想されています。宮崎さんの豊富な実例や喩えから、そうしたコミュニティの可能性を見つけ出してみましょう。
矛盾が創造的変容を呼び起こす ダブルバインドを徹底せよ
ダブルバインドが起こす転換
今まで私たちは、従来の行政・自治体的な公とは異なり、私的な領域とされてきた家族や民間の営みの中に新しい公共の形を見出そうと議論をしてきました。しかし宮崎さんの議論には、それらとも異なるコミュニティエンパワメントや創造的学習の議論、「集団的主体」という言葉のように、共同体の形そのものを再構成する議論があるように感じます。
そこでまずはこの公の再構成を促す出発点からお話を伺いたいと思います。コミュニティエンパワメントや創造的学習は、北芝の事例で論じられていますが、その中で重視されているのは「ダブルバインド」という経験ですね。このダブルバインドは、どのように公の再構成へと繋がっていくのでしょうか?
山内泰それをお話するには、水俣の緒方正人さんの「チッソは私であった」という発言から始めるのがいいと思います。これは北芝の事例と重なる部分も大きいのですが、緒方さんはチッソに対して怒りをぶつけて、先頭に立って戦っていたけれど、実は自分たちの日常生活自体が、例えばFRPの船で魚を獲ったり、チッソが作った水道管を利用するなど、簡単には抜け出せない「システム社会」に組み込まれていることを意識され、その「システム」に埋め込まれている限り、私たちも「もう一人のチッソ」であると述べられています。そこでは自分が持っていたある種の加害性や、無意識のうちに持っていた生活の前提自体が、実は自分自身への被害をもたらしている。そうすると、前提自体を問い返さないと、自分自身が直面した困難や矛盾の解決見通しが立たなくなる。緒方さんの言葉を借りると「魂(スピリッツ)」がどのように救われていくかという問いになります。例えば宗教的に世界とつながりながら、何らかの救済を求めることもありますね。緒方さんも宗教とは違う形だけれど、自分自身の前提を組み替えた時に現れてくるオルタナティブの世界について考える可能性に開かれたと思います。そうした意味でダブルバインドは、やはり突き詰められる必要があり、表面的な矛盾だと展望が開けない。矛盾を突き詰める努力をしないと、やはり見えてこないものがあるだろうと思います。
この矛盾や悩みの徹底という点は、南方熊楠の「萃点」にも繋がると思います。鶴見和子さんはそれを偶然性で、必然性の系と偶然性の系の交わる所だと言っています。けれども偶然性が本当に偶然かと言うと、おそらくそうではないんです。出会いという言葉にしても、物理的には偶然のコミュニケーションであっても、その時に全然文脈が違う言葉が示唆となって、何かが見えてきて、ハッとすることが確かにあるわけです。それは自分自身が行き詰まりに直面して問いを深めようと考えている状況が前提になって、全く偶然的に見える他の人の発言や出来事、事柄も含めて、その中に新しい意味を見出すことができるからですね。
その意味では、悩みや問いが深いからこそ、それに形を与えてくれる偶然に見える出会いがあって、自分が求めていたことが初めて意識に上って来るんですね。そうなると、自分のこれまでの問いの立て方も見直されていくことになるし、場合によっては人生観も変わることもあり得ます。例えば20代の頃の偶然の出会いによって、人生が大きく変わったというような語り、それには今言ったような背景があると思いますね。
宮崎隆志集団の活動の中で生まれる転換
水俣の緒方さんも、それまでの活動に限界を感じて、そもそもの前提を問い直さないといけないくらい矛盾を突き詰めていきました。あるいは事態の行き詰まりにぶつかって、こうした転換が起こったのですね。
宮崎さんは、どのような状況や要素がこのダブルバインドを突き詰める方向に向かうとお考えでしょうか。
山内泰ダブルバインドの問題は、緒方さんの例のように、個人の中で起きることもあります。例えば自分自身のミッションを見出すこと、キリスト教で言えば「Calling」という自分が神から与えられてすべきこと、あるいは天啓や悟りに開かれる瞬間ですね。そうした局面とは別に、社会教育として私が考えたのは、集団的で歴史的な変化の次元です。緒方さんたちの例は臨床的なアプローチとして成り立つけれど、それを地域社会レベルで考えられないかと思っています。
地域社会教育や民衆思想史の事例は、藤岡貞彦先生や安丸良夫先生から学ばせてもらいましたが、近世の農民一揆から、戦後の高度経済成長期に開発に対する抵抗としての住民運動、そして現在の色々な社会運動まで、私は民衆の運動として理解しています。そこで、その運動が生じてくるプロセスや、その中で学ばれ問い直されたことを見ると、決して個人的な次元だけで起きているのではなくて、集団的な意識変化と結びついたダブルバインド状況を考えることができるように思います。
具体的な例では、三島沼津のコンビナートの建設反対運動は社会教育界では有名です。四日市で喘息が広がった後、新全総の下で大規模なコンビナート開発が旧三島町で計画されました。そこで政府側から環境調査団が派遣されますが、住民側も高校の先生や労働組合や自治体が中心になって、皆で環境アセスメントを行いました。例えばローカルな風向のデータを、皆で鯉のぼりを上げて、どちらに向いているか時間を決めて調査したんです。それを高校の先生方が集めて、非常に微細な地域の風の流れをデータとして蓄積する。すると煙突から煙が出たら、どちらに流れるか分かるわけです。また漁師は牛乳瓶を流して、ローカルな潮の流れを分析する。こうして海中に排出された廃液の循環や滞留についてのデータも蓄積されました。
住民に対しては、公害に関わる窒素酸化物など日常生活では聞いたこともない言葉を用いた説明がなされて安全と言われます。けれども使われる言葉がよく分からないから、言葉自体を学習し直さないといけない。そこで教育関係者や研究者が一緒になって、市民の学習会を開きました。そうして結果的にはコンビナートは作られませんでした。
宮崎隆志