不可思議な「わたし」を巡る
苦しくも生き生きとしたアイデンティティ-他者と呼び起こす主体性の空間 (2/4)
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アイデンティティの深さに浸される場―身体

身体において現れるアイデンティティ

エゴアイデンティティの領域、つまり深層や非合理や社会の外側の話は、実感や体験というような形のもので、観念的に操作できるものではありません。実感とか体験は情感的なもので、身体を媒介にしたものです。そこで、身体がそこにどのように関わっているかについて、浜田さんがされているトライアスロンの中でアイデンティティを考えることについて教えてください。

山内泰

大学の時にトライアスロン部に入っていたのですが、なぜトライアスロンのようなしんどいことをわざわざするのか、自分でやっていてもよく分かりませんでした。私は学生でお金はなくても時間はありましたが、社会人の方々は忙しい中で3種目を練習する時間と労力をどうにか捻出して、せっかくの休日に練習も含めてわざわざ疲れに行くわけです。ゴールした時は当然嬉しいし、みんなで喜び合うのも楽しいですが、やっている最中の苦しさだけを取り出すと、何でこんな苦しいことをしないといけないかと考えてしまいます。

浜田雄介

しかし今では、マラソンやトライアスロンなどのエンデュランス(耐久)スポーツに固有かどうかは別にして、そこに超常的な何か、人が生きることの何事かが現れていると考えています。特にエンデュランススポーツという身体活動を介した苦しさや弱さに、今の社会において人々がどのように生きたいのか、生きるとはどういうことなのかを考えるための大事なポイントが見出されるように思います。ただそれは一概にこういうものと言い切れるものではなく、非合理で説明しづらいものですね。

浜田雄介

興味深いのは、非常に非合理な出来事としてトライアスロンに代表される持久スポーツを捉えるという視点ですね。

山内泰

合理的に自分の今を解体する

そうですね。トライアスロンの研究をしていて改めて面白いと思うのは、非合理なことが合理的に説明されているということです。例えば「仕事を頑張っても何のためになるのか分からず働き甲斐を感じられないけれど、トライアスロンは苦しくても一歩一歩進んでいけばゴールにたどり着けるし、だからこそ練習も頑張れる」といった言説があります。この頑張れば必ず報われるという考え方は、非常に近代的な考え方であって、エンデュランススポーツは近代の合理性を復活させてもいます。

浜田雄介

その一方でやっていること自体を見れば、ただただ自分を苦しめ痛めつける非合理なことです。そうした二重性、つまり非合理なことと合理的なことがトライアスロンの競技中には同時進行していて、それを続けていくとそこでしか感じられないものがあります。トライアスロンも単純に非合理なだけでなく、頑張ってゴールにたどり着くといった何らかの合理性は必要です。しかしそれは非常に合理化された非合理性であって、自分で自分を痛めつける合理化された自己毀損・自己破壊です。けれども実は、この破壊されるということが大事で、それによって自分が「何でもないもの」になることが起きるのです。

浜田雄介

それが、苦しくても一歩を踏み出すかという局面の話ですね。

山内泰

合理性と非合理性の行き来によって起こる宙吊りの状態

エンデュランススポーツは、ある意味では思想家のバタイユが言う、生贄を殺してそれに同化して連続性を体験する供犠のようなものです。つまりやっている本人にそんなつもりはないとしても、自分で自分を苦しい目に合わせて壊すことで、死に近づくという側面があります。バタイユが連続性、内的体験、至高性といった言葉で表現した体験は、現在を十全に生きている感覚につながります。エンデュランススポーツでも自分が壊れることによって何のためにやるのかという有用性や合理性の縛りから外れ、今していることが自分のすべてになる。そうした時に思いがけず十全に生きているという感覚がもたらされるわけです。他の色々な活動でもそんな感覚を得られることがあるでしょうが、エンデュランススポーツでは極端な形で合理性と非合理性が同時進行しています。日常から離れていったん壊れることによって、合理性と非合理性、生と死の間でどっちつかずの宙吊り状態になる。そうした間を行き来するからこそ、苦しさに向かうことの意味や理由を見出せるようにもなるのだと思います。

浜田雄介

トライアスロンでヘロヘロになりながら走っているときに、ゴールしたら報われるということは頭の中にあるかもしれないけど、それにしても今こんなにきついのになぜ一歩前に踏み出しているんだという非合理にも直面しているということですね。

山内泰

そのことすら考えなくなる時があります。「何をやっているんだ」ということすらない。つまり、自分を捉えられなくなって、ただ前に進んでいるだけの状態です。でも完全に壊れて突き抜けたら倒れてしまうので、本当に合理性の外に行ってしまわないように、どこかでギリギリ踏みとどまっているんですね。

浜田雄介
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