不可思議な「わたし」を巡る
対話が取り戻す「物語としてのアイデンティティ」-リロケーションダメージへの関わり (2/4)
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これらのことから、身体面では「日常生活そのものが体の機能を維持する予防的な要素を含んでいるセルフケア活動なのだ」という視点を持つ必要があると思います。そのため、今まで行ってきた生活をできるだけ継続できるように、日課を取り戻すという関わりが必要になってきます。

社会面では、馴染めない環境とか他者への気遣いは、その場所に安心して住み続けることを困難にすることを意味しますので、関係性をどのようにつなぎ合わせて、これまでの関係性を保持し安心感を取り戻してあげるのかという関わりが必要になってきます。また、これまでの役割や活動の喪失、活動範囲の縮小という体験は、居場所や存在の意味を確認しづらくさせるので、喪失したものへの関わりやケアが必要になります。

精神面では、自尊感情の低下とか不安定な感情、イライラや鬱などいろいろなことを体験しています。老年期は、それまで生きてきた自分自身の人生を受容し統合していくという発達課題があります。生活の基盤としての場所を失ってしまうことで、不安定で揺るがされる危機的な体験、アイデンティティの揺らぎの体験がありますので、そのことへの関わりが必要になってきます。人間は、場所の中で生まれ、環境の中で育ち、時間を堆積して人生を作り上げる、という視点を持ちながら、その人のアイデンティティの揺らぎに私たちが寄り添っていくことが必要だと思います。

赤星成子

同じ「農業」でも全く異なる

住み慣れた地域に暮らしているときには、本人も意識していないけれど、いろいろな身体的な出来事が起きている。赤星さんのお母さんの話でも、「もともといた場所での農業」と「新しく移ったところでの家庭菜園」では、同じ農業的なものに見えながらも、全く違う出来事になっているのでしょうか。

山内泰

そうです。全く次元が違うと思います。農業では、植えたものが1年かかって成長しそれを収穫し、売ったものがお金として返ってくるわけです。育てていく中でのプロセスもある。種まきや苗を植えることから始まりますが、体の動かし方が全く然違います。毎日畑に行って苗の成長を見たり、世話したり、芽が出てないところをもう1回植えなおしたり、肥料をあげたり、雑草を取ったり、毎日のように体を動かす活動(運動)があります。それ以上に自然環境の中に身を置いて、土や育ってくる植物の世話と生命との対話があります。「育てるのは子育てと一緒、植物は手をかけると応えてくれる」と植物との相互作用もあります。

赤星成子

ところが移った先では、周りは建物で囲まれ、菜園とはいえプランターでやるくらいだから景観は異なるし、活動量は全然違います。自分が植えたものが成長していく、規模が畑とは違います。育てて大きくなっていく中で、自分のやったことが目に見えて成長していく喜びも全く意味合いが違います。自然環境の中では自然との対話があるでしょうし、だからどんなに母の心が折れていたんだろうかと思います。住み慣れたところでは、花木一つとっても何十年も剪定しながら育てていますから、愛着があって、それから離れていくというのは本当に喪失感そのものなんだろうと思います。

赤星成子

リロケーションによって、そうした身体が環境と織りなしている生活の日課が奪われてしまうのですね。それはものすごく情報量が多いもので、簡単には移せないものでしょう。

山内泰

私たちは簡単に「何かを植えたいならプランターに植えればいいじゃないか」と代替的なものを考えますが、変えられない次元の違いを考えて代替案を提案しているんでしょうか。母は本心では「そんなものでは補えないものがあるんだ」と失われた場所を体と心で感じていたのかもしれません。

赤星成子

「場所の社会学」の著者瀬崎氏は、地理学者のイーフー・トゥアンとエドワード・レルフを引用し、「トポフィリア(場所への愛着)」という言葉を紹介しています。「人間が生きるということは、身の回りの空間とかかわり、生活していくことにほかならない。その過程において、----特定の空間を自分自身にとって特別なものとして認識し---何らかの意味を与える。---そのような意味のある空間、---すなわち自らに安心感や高揚感を与えてくれる空間とのかかわりの中で、自分自身とその空間との有機的なつながりを感じる。たとえば、私たちが子供時代を楽しく過ごした空間に身を置いたとき、とても懐かしく思うのは私たちがその特定の空間との間に、有機的なつながりを過去に育んだ経験があるからだ」とし、「意味によって区切られた空間」を場所として定義し、場所への愛着(トポフィリア)という言葉を使っています。

赤星成子

母親が住み慣れてきた場所は、自分自身の日常がある場所、20年にも及ぶ夫の介護、家畜の世話、菜園やガーデニングができる庭、サトウキビや野菜を育てる畑、仕事の中で、あるいは隣近所の人とのつながり、結婚し子育てした場所、自分の人生の出来事の中で苦労や喜びの体験を包み込んでもらった場所だったと思います。母の生活、人生を紡いできた場所で、どれ程その場所への思い、愛着に支えられてきたことかと思います。

赤星成子

年代によるリロケーションダメージの影響

身体の場所が移って環境が変わるに伴い、それまでの日課が奪われていくところに、リロケーションダメージのポイントがあると思いました。一方で、高齢者のみならず若い世代も引っ越しをします。年代によって、リロケーションの影響はどうなのでしょうか。

山内泰

年代によってリロケーションの影響は違うと思います。若者が大学進学のために移動する中には自分たちの目的や希望があります。これがあるのでそんなに大きなダメージは受けないだろうと思います。自分の発達課題の中での役割がつながっていればそんなに大きなダメージはないけれども、 特に高齢になると人生の受容と統合の時期なので高齢者のリロケーションの影響が大きいと感じます。

赤星成子

仕事を持っていて社会的役割があれば、仕事を通して人との関係性もつなげることができます。社会に出ていない学生の場合でしたら学ぶということを通して、いろいろな関係性をつなぐことができますし、活動もできます。定年までは活動ができ人とのつながりができて、自分の役割を通して自分の自己概念やアイデンティティは保てると考えられます。高齢者は社会的役割が一旦終わっているため、自分が住んでいる隣近所や家族、知人とのつながりの中で生活を続けていきますが、もし別のところに移動し地域とのつながりが小さくなり閉ざされるとなると、影響はかなり大きいと思います。新しい関係を作るといっても役割を通しての社会関係は、もともとの地域だったら自治会活動とか繫がりを保てると思いますが、新しい場所でそれをつなぎ創り直さないといけなくなります。

赤星成子

アイデンティティを取り戻す対話―揺らぎへの関わり

対話を通して開かれる「その人の生のパターン(意味)」

リロケーションを通して、身体的・社会的・精神的に、従来のありかたを失うことでアイデンティティが揺らいでしまう。そうした揺らぎへの関わりを、どのように考えたらよいでしょうか?

山内泰

私の母の話に戻りましょう。「何をしたら母親の心を少しでも埋めることができるのだろうか」と考え、仕事がない土日は母を施設へ迎えに行き、私の住居で一緒に過ごしました。母は、私が施設へ迎えに行くのをとても喜び、待っていました。認知症の母は、短期記憶はないものの長期記憶はあったので、よく話をしていたのです。

赤星成子

私はどうしたら母の自己概念、つまりアイデンティティを取り戻せるのかと考えていました。アメリカの看護理論家マーガレット・ニューマンは「意識の拡張としての健康」を提唱しています。その中に、対話するものがパートナーとなって、一緒にその人の「人生のパターン」に拓かれる道すじをたどるアプローチがあります。これだったら母が自分を少し取り戻せるかもしれないと思い、母と一緒にやってみることにしました。ニューマンの理論では、その人が今まで生きてきた人生の中で「意味のある出来事」と「心に残ってる人との出会い」について聞いていくと、その人の生き方のパターンが見えてくると考えます。そのパターンにその人が気づくことができるように対話を行い、聴いていくのです。

赤星成子

私も母親に「できるだけ昔の覚えていることを何でもいいから話して」と投げかけてみました。すると私が知らないことがものすごくいっぱい出てきたのです。母はすごく喜んで話してくれました。幼児期から口減らしのために、他人の家で「子守り」として働き・くらしながら義務教育を終え、その生活は結婚するまで続いたこと。どのような人たちが自分の生まれた家で生活することができるのだろうかとうらやましさと、その中で人の優しさに触れ頑張ることができたこと、苦労を重ねてきた日々を生き抜いた物語が語られました。話を終えるたびに「有難い」とか「幸せ、幸せ」とか感謝と喜びの言葉がたくさん出てきました。本当に安らいでいるように見えました。母は圧迫骨折などにより痛みがあったので毎日痛み止めを飲んでいて、施設では「痛い、痛い」と言うのですが、私のところに来たらほとんど痛みを訴えない。痛みはあったと思うのですが、それ以上にいろいろ話したり、私と一緒に過ごしている時間に気がとられて、あまり痛みを感じなかったのだろうと思います。そうやって対話をしていく中で、自分自身を感じ取り戻していくプロセスがそこにはあったんだと思います。

赤星成子

お話をお伺いしていると、大牟田市で取り組んだ「わくわく人生サロン」と同じような感じがします。

山内泰

そうですね。同じようなことが起こっていたんだろうと思います。それから2ヶ月後に母が亡くなったのですが、私には不思議と喪失感がありませんでした。なぜ私はこんな風に死に対する悲しみや辛さがないのだろうと思い、母との対話の中での話を想起しました。そうすると母親が生きてきた中から母の「生き方」の意味が見えてきたのです。それが見えてきた時に、母が残してくれた生き方に支えられていることに気づかされました。母の肉体はなくなったとしてもその意味が私の生きる力にシフトしているということを体験していたのです。

私が体験したこともそうですが、ニューマンの理論では、相互関係の中でそれは必然として起こるものだと考えます。相手も認識が広がっていき、関わる側も認識が広がっていって、その人の生き方のパターン(意味)、つまり自分自身のアイデンティティに拓かれた時、さなぎが蝶になるみたいに変容するというのです。このことが、冒頭に出てきた統一体的に変容していく自我アイデンティティにつながるのではないかと考えています。

赤星成子

人間は、さまざまな苦難、混沌を体験しますが、やがてそれらは、自我アイデンティティ、あるいはパターンとして拓かれ意識が拡張していく。この事態をニューマンは「変容」、「ターニングポイント」或いは「ピンチがチャンスになる」とも言っています。ウェルビーイングという意味でいろいろな課題や問題があったとしても、混沌や苦難があるところには意識の拡張があるのです。ニューマン理論で説明するなら、病気も健康の一部分ととらえます。病気の体験を通して自分を見つめたときに、それが自分自身のパターンやアイデンティティや自己概念につながっていき、それに拓かれた時その人はターニングポイントを迎えて違う自分に拡張していく。そういうとらえ方なので「病気だから不健康」とは考えません。病気を通して健康へのプロセスを歩むのです。病気であっても死であっても私たちを貶めはしません。対話を通して私たちはより広い認識につながっていくという考え方です。大牟田市の取組みも似たような取り組みをなさっておられるのですね。まさにアイデンティへのアクセス、素晴らしい取り組みだと思います。変化についての「何故だろう」という疑問は、理論に基づくと見えてくるかもしれないと思いました。

赤星成子
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