不可思議な「わたし」を巡る
対話が取り戻す「物語としてのアイデンティティ」-リロケーションダメージへの関わり (1/4)
呼びかけの声を聴く - 不可思議な「わたし」を巡る

赤星成子

姫路獨協大学看護学部教授
看護における「対象理解」を中心に「援助的人間関係」「ケアリング」を研究テーマとしている。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

一般にアイデンティティの問題は、社会における自分のあり方(役割や存在)をめぐる問いとして議論されてきました。しかし一方で、住み慣れた場所との関係もまたアイデンティティに深く関わっているという議論もあります。高齢者のリロケーションダメージをはじめ超高齢社会における社会課題を考える上で重要な問いです。
こうした問いを、今回は看護学を専門とする赤星さんと一緒に考えていきます。赤星さんとの対話では、リロケーションダメージに関する話題に始まり、やがてリロケーションダメージで失われたアイデンティティの回復を巡る議論へと進みました。

リロケーションダメージがもたらすアイデンティティの揺らぎ

看護における対象理解と自己概念/アイデンティティ

これは私たちの仮説ですが、リロケーションによって損なわれているアイデンティティは、社会的な役割のような自己アイデンティティではなくて、自分の存在に関わるような自我アイデンティティではないかと考えています。それは自分では意識しづらいものでありながら、決定的な影響を与えているものだと思います。

山内泰

自己アイデンティティというのは見えやすい客観的なアイデンティティですが、自我アイデンティティというのはその人の中に埋もれてしまっているけれども、その人の核をなす非常に大事な部分や見えない部分のアイデンティティとして捉えてもいいのだと思っています。社会学者の椎野氏は、『社会的世界とアイデンティティ』という論文で、アイデンティティというのはその人の日常生活の世界なのだけれども、自分の世界であると同時に他者たちの世界であるということを言っています。

赤星成子

私たち看護の世界では対象の理解が核になるため、対象者のアイデンティティ(普段は自己概念という言葉を使いますが)に近づくために、その人に寄り添い患者さんの体験や思いを理解していきます。看護実践は相手と信頼関係を構築しながら、相互作用の中で展開されるプロセスです。そこには相互主観的(間主観的)な自己(自我アイデンティティ)が立ち現れます。ケアをする者は相互作用の中で患者さんと出会い、そのような関係性の中ではじめて、「ケアとは、最も深い意味でその人が成長すること、自己実現することを助けることである。----それは一つの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方であり、---質的に変わっていく関係を通して、時とともに友情が成熟していくのと同様に成長していくものである。」とM.メイヤロフ(ケア論の先駆的研究者)が定義するケアのあり方に近づくことができ、そのためにはその人を深く理解することが大切だと思っています。

赤星成子

私が学生によく言うのは、病院で目にする患者さんの姿や病気による症状の訴えは、氷山の一角だということです。その人が生きて育って今に至るまでの歴史や時間、人との出会いや関係などのいろいろなものが水面の下に埋まっているため、そこにいかにアクセスしていくかを伝えています。看護というと、体や病気のことが中心に語られがちですが、例えば痛みの訴え一つでも身体的なものだけではありません。その人が家族関係の中でいろいろな問題を抱えているとか、病気のために仕事ができないでいるとか、いろいろなことを背負っておられ、それらのことが複合的に症状にも影響を及ぼす場合があります。

赤星成子

こちらからその人を見ていくと対象理解になりますが、「その人はどういう自己概念を持っているのか」をその人に立場の変換をしたとき、その人のアイデンティティにアクセスできるのではないかと考えています。

赤星成子

リロケーションダメージの3つのカテゴリー

目に見える現れは氷山の一角で、その背景を含めてアイデンティティに関わっている。その背景のひとつに住環境がありますね。リロケーションとアイデンティティについて考えるきっかけは何だったのでしょうか?

山内泰

きっかけは、私の母の居所を住み慣れた場所から移したことです。母は島で農業の傍ら74歳まで電力会社の集金や検針などを40年近くやってきました。私の父が難病で寝たきりになったので、介護しながら農業もして、85歳まで車の運転をするなど健康で自立していました。ですが認知症によって車の置き場所が思い出せない、火を消し忘れて鍋を焦がすようなことが重なり、「危ない」ということで免許を返納しました。そのことがきっかけで、生活ができなくなってしまった。田舎なので車がないと買い物に行けません。

赤星成子

それで都会に住む子どものところに転居したわけですが、野菜を作っていたことや花を育てていたこと、料理や裁縫など、やっていたことが全部失われてしまって、健康だった母の身体機能は、数年の間でどんどん落ちてしまいました。母に菜園をやってもらおうと、土を買いに行ったり肥料を買いに行ったりしましたが、材料を持ってきてもらわないとできないため、母も自分からしなくなってしまいました。

赤星成子

認知症の治療が必要だと考え居所を移したのに、衰退していく母の身体を見ていて、私は罪責感に駆られました。「便利だから」、「生活が安全だから」ということだけで、居所を移していいものなのだろうか。そう考えたことがきっかけでリロケーションダメージについて調べ、整理してみたということです。

赤星成子

リロケーションダメージとはどういうことなのか。それが研究の問いです。16の文献の中からダメージとして読み取れるものをすべて取り出しコード化して、質的帰納的に分析した結果、大きく「身体的側面のダメージ」、「社会的側面のダメージ」、「精神的側面のダメージ」という3つにカテゴリーで抽出することができました。

赤星成子

身体的側面としては、住み慣れた場所から移動することと環境の変化によって身体機能が低下し、それによって生活に支障が出てきます。例えば、自宅から施設に入所した人は、移動範囲がすごく限られることで寝たきりになるとか、家事や買い物、食事の準備、片付けなど慣れ親しんだ普段の生活日課が崩れるなど、日常やっていた身体活動ができなくなる体験をしています。社会的側面では、新しい環境の中では、活動範囲が縮小したり横のつながりを持てなくなること、経済的な役割や活動の喪失を感じたり、馴染めない環境で家族を気遣いながら生活をするという体験をしていました。精神的側面では、いろいろな活動が奪われていくことで、「自分は何にもできない」、「やれていたことがやれなくなった」、「自分は失敗者である」などの自尊感情の低下を体験していました。また「この先どういうふうに生きていけばいいのか」、「希望が見いだせない」などの不安定な感情も表出されていました。もともとおられる高齢者と移住してきた方との比較では、移住してきた高齢者は自尊感情の低下が見られました。

赤星成子
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