公と共と私たち
自分事から始める公共性と絶対包摂の共同体 (1/3)
自分事から始める公共性と絶対包摂の共同体 - 公と共と私たち

辻田真佐憲

評論家・近現代史研究者
政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

日本人は「空気」と呼ばれる全体的な雰囲気に流されやすいと言われます。例えば「皆と違っていたら困るから、合わせておこう」というように、公共は何となく合わせないといけないし、共同体はそうした暗黙のルールに個人が同調した集合体のように見えることもあるでしょう。
空気という実体の見えない何かに取り巻かれた状態から、公共と個人が一歩進むためにはどうしたよいでしょうか。日本近現代史における社会の空気について研究する辻田さんは、日本の公共性には、そうした同調圧力にとどまらず、自分の身の周りから社会を変えていくあり方もありうるといいます。今回は辻田さんと共に、日本的な公共性の難しさと可能性を考えていきます。

日本の公共性を支える総合知=雑居性

総合知と町の規模

今回まず論点にしたいのは、辻田さんがよく言及されている総合知の重要性です。私たちは大牟田という地方都市を拠点にしていますが、この10万人ぐらいの地域に社会システムの縮図として統合的なアプローチができる可能性を感じています。その際に総合知にヒントがあるように思うのです。そこでまず辻田さんが総合知に重きを置かれているポイントを説明いただけたらと思います。

山内泰

例えば昔、京都学派というグループがあって、京都を中心に学際的に文系・理系を超えて、色々な知識人が集まって社会に対して提言をしていました。日本における重要な思想的グループとされています。その誕生には京都という町の規模が大きく関係しているんですね。京都は特に戦前は人口が少なく、その割には大学がたくさんありました。大学教員と学生が家に帰る時も歩いて帰れるぐらいの距離に住んでいるから、夜中まで文理・分野を超えて語り合うことができる環境がありました。だからこそ京都は学際的で分野横断的な学知というものが生まれたと言われていますね。

東京になると、戦前でも人口がすごく多いので、哲学なら哲学、歴史なら歴史、理科系なら理科系で集まれてしまいます。人口が巨大になると、それぞれの知的グループで集まって成立してしまうので、逆に分野横断的なことが起きにくい。逆に京都の場合だと、色々な分野が集まらないと知的な会話ができなくて、その分だけ学際的な会話ができたということです。そういう意味では規模と総合的なものは深く関係していると思えます。

辻田真佐憲

総合知と専門知の支え合い

総合は「専門知と総合知」という対になって語られます。専門知は専門家が担うような知識のあり方です。感染症だったら感染症の専門家がいる一方で、経済の専門家がいる。大学やシンクタンクに所属する人たちが一般に専門家で、彼らが担っているのが専門知になります。

専門知はその特性上、細かく分かれていきます。例えば歴史の専門家にしても、歴史全般ではありません。日本史の中でも近代政治の専門家だったり、ドイツ史の中でも中世政治の専門家や経済の専門家だったりします。何でも知るためには、その分細かくしないと人間の能力上で無理なので、どうしても専門知は細かく部分的になってしまう必然性があるんですね。

それに対して総合知は何かというと、ある程度世の中をざっくり見て見取り図を示す知のあり方です。これは評論家と呼ばれる人たちが担っているようなあり方ですね。日本の今後について政治経済・文化などの全体を見通した上で、提言する人たちです。この人たちは、社会全体の広がりはあるけれど、一人の人間でそれほど細かく見られないので、その分ざっくりして粗いです。専門知は細かいけれど狭く、総合知は広いけれど粗いという対応関係で、この二つの知が大事だというのが私の考えです。

昨今は専門知が大事だと言われています。これは分かりやすくて、病気になったら医者がいないと困るからです。しかし18歳になって選挙権を得て投票する時に、自分の専門分野だけで投票したら、めちゃくちゃなことになりますよね。外交の専門家は外交だけで投票する、物理学の専門家は物理の観点だけで投票するということは不可能で、我々が投票する時は、政治・経済・文化・外交などのあらゆるものを総合的に考えた上で投票します。こうした総合的な観点がないと、投票や民主主義国家の基礎が成り立たなくなります。

またコロナ禍のような非常事態で、感染症の先生の話だけを聞いていると、無限に自粛する羽目になります。そこに教育の専門家からすれば「子どもの発達上で問題だ」という意見が出る等、色々な視点が出てきます。非常時というのは、まさにそうした色々な知見を統合して政治家は決断しないといけないし、我々も発言や投票行動をしないといけません。

ですから我々の社会をうまく回していくためには、細かい専門知と総合知の両方がないといけない。そしてその両者が社会を知的なレベルで支え合うという関係性を作っていく必要があります。

辻田真佐憲

総合知の広げ方

辻田さんは特にコロナ禍を経て、そうした総合知がもう一度注目されるのではないか、と仰います。それでは「総合知が大事」ということを共有したり伝えたりする点は、どのように考えられていますか?

山内泰

それは例えば動画等で見せるのが一番だと思っています。日本には100年ほど前から座談会文化という世界的にも珍しい文化があります。これは特定の専門家や評論家、色々な分野の人が集まって、お酒を飲みながら温泉宿で話し合うのを文字化しました。そうしたものが読まれ続けているのは、真面目な講義だけでなく、ある程度の見取り図が欲しいという需要が我々の中にあるからでしょう。それにお金を払って見たい人たちがたくさんいるんです。そこでより良い議論を提供することで「こうした全体像を考える議論は大事だね、面白いよね」と思ってもらうことに尽きると思います。それは専門知と違って大学や研究機関に基盤がなく、消費者のおかげで維持されてきたような文化だからこそです。

今は動画のおかげで、それを直接生で見せられるようにもなりました。そうして色々な人たちの議論を見せて、総合知の魅力を感じ取ってもらうことが一番だと思います。座談会文化・総合知がパフォーマンスになるわけですね。

辻田真佐憲

日本の総合知を支える雑居性

辻田さんも大学に所属せず在野の研究者として、シラス(株式会社ゲンロン運営の放送プラットフォーム)をはじめ様々な形で人と交流しながら研究活動されています。そこには日本独自の知的な場を作っていく話と関わる戦略があるのでしょうか?

山内泰

そうですね。インディペンデント・スカラーは海外にもありますが、日本の在野研究者という不思議な存在は少し特殊です。昔はジャーナリズム系の研究者は雑誌などに寄稿して、原稿料が良かったので印税もたくさん入り、それで生活している人が多くいました。それに昭和史を研究する系譜があって、私はその流れの中にいます。今はそれが縮減しており、そのまま日本の知的な環境そのものが貧しくなるという危機感を持っています。つまり総合知的なジャーナリズムと専門知的なアカデミズムの危機は同じではないか、ジャーナリズムとアカデミズムいう二つが支え合うことが、日本の知のあり方ではないか、という問題意識を私は持っています。

辻田真佐憲

アカデミズムとジャーナリズム、専門知と総合知が混ざり合う座談会に象徴されるあり方は、戦後に始まったのではなく、戦前にもあったというお話ですね。

山内泰

そうですね。まず明治維新が日本の階層を一回リセットしました。それは才能さえあれば上に上がっていける時代で、ジャーナリストや評論家が出てきた時代でもあります。歴史であれば、ジャーナリスト・記者をやっていて、そこから歴史家のようなこともやった徳富蘇峰が典型です。もう一回は敗戦です。この二つによって社会が一度できあがった階層を壊された経験があります。その経験もあって、日本では皆で集まって考えようとしました。

もう一つ大きかったのは、西洋化の衝撃ですね。ヨーロッパ文明を受け入れた時に、どうやってヨーロッパ文明と日本を繋げるかという問題意識が常にあって、ヨーロッパのコピペは無理だという認識がありました。ではそれをどうすればいいか考える必要がある。これは総合的な問いですね。だから革命的な状態によって知的雑居が起きたことと西洋文明の衝撃、この二つによって日本は総合的なものに関心を持たざるを得ない環境にあったと思います。

辻田真佐憲
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辻田真佐憲

評論家・近現代史研究者
政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員