Sustainability Deep Dive
Vol.4 分解から考える「サーキュラーエコノミー」を超えて (2/2)
1 2

循環経済(サーキュラーエコノミー)の外部

循環モデルで考えるという点で、サーキュラーエコノミーの話に移りましょう。環境省の定義は次のようなものです。どのように見てらっしゃいますか?

山内泰

循環経済(サーキュラーエコノミー)とは、従来の3Rの取組に加え、資源投入量・消費量を抑えつつ、ストックを有効活用しながら、サービス化等を通じて付加価値を生み出す経済活動であり、資源・製品の価値の最大化、資源消費の最小化、廃棄物の発生抑止等を目指すものです。
「令和3年度 環境・循環型社会・生物多様性白書(環境省)」

サーキュラーエコノミーはもともとEU発祥ですが、EU的なサーキュラーエコノミーの定義としては100点満点でしょう。でも、これでは難しいのですね。本来はサステナブルも、「地球の自然環境の持続可能性」のために「経済を含む人間の営みがどう変わるか」という問いだったはずです。それがいつのまにか「経済の持続可能性」の話になってしまっているように感じます。

例えば「廃棄物の発生抑止」はたしかに大事です。しかしもっと原理的に捉え直すと、廃棄物は分解者たちの食べ物で循環を生み出す要素です。むしろ分解者たちが最大限活動できるように社会を整えていく上で、廃棄物のありかたを考えることが重要となります。

また循環の捉え方についても、ここでの循環は閉じたイメージで静的すぎるように思います。実際の循環は、太陽光という地球外からの一方向的なエネルギーを受けることで成り立っているものです。

藤原辰史

循環のサークルを駆動する原理が、循環の外側にあるわけですね。ですが循環にとって不可欠な外部は、見えなくなりがちです。

山内泰

外部が見えない点は資本主義もそうですね。資本主義における外部は「家族」です。経済を回すのに不可欠な労働力を家族は自発的に生み出します。それは情緒的・感情的・身体的・生殖的なセクシャリティの領域です。しかしアダム・スミスもマルクスも、これを排除しないと経済を論じられなかった。そして閉じた体系としての「経済」の言葉を用いて経済を回す議論をしてきた。そのツケを今日私たちは支払っているのでしょう。

また家族は歴史的に女性の領域と見なされ、無償化されていました。『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』(カトリーン・マルサル著)という世界的ベストセラーがあります。経済学の父スミスは、料理やケアを経済の議論から省くのですね。そして夕食作っていたのは母だった、と。そして夕食の材料は自然からしか調達できません。分解の哲学とのつながりもそこにあります。

私たちは、家族の中の自然性や自然環境の大事な部分を、「資源」という言い方で手段化してきたんですね。その在り方を根本的に捉え直す必要があります。だから生態学と経済学を結びつける新しい経済学の理論が求められていますし、自分もそれを目指しています。その問題意識からすると、この環境省の定義は人間中心主義的で、旧来の狭い経済学の議論に留まっていると思います。

藤原辰史

「分解者」としての私たち

分解者的な人の営み

微生物たちの分解の営みを、私たち人間の営みで捉えるとどんなイメージでしょうか?

山内泰

ドイツの哲学者ゾーン=レーテルは、ナポリ人の営みに分解者を見出しています。第1次大戦後のヨーロッパ、ナポリの街に滞在したゾーン=レーテルは、ナポリ人が完全で壊れないものを薄気味悪く感じる一方、壊れゆくものに寄り添い、修繕しながらケアして使い続ける技術を高く評価しました。

また私が住んでいた東京の公営住宅にゴミ拾いのおじさんがいました。ゴミ捨て場をすごく清潔に保ちながら、子どもたちのために段ボールでおもちゃをとても器用に作るのですね。子どもの誕生日に段ボールケーキを持ってきてくれたりして、母子に人気でした。ゴミになるはずのものがおもちゃになって、人のつながりも生まれる。ナポリ人にしても、誰かが助けてくれることを前提に、壊れものを使っています。分解者は人をつなげているのです。

藤原辰史

価値転換のきっかけとなる分解者

一方で、私たちは、歴史的・社会的に廃棄物を扱う人を経済や社会の外側に置き、差別してきました。差別や排除、家族と女性など、話が飛んでいるように感じられるかもしれませんが、分解の視点でみればつながっています。

藤原辰史

従来の社会や経済の閉じた循環から排除された人の営みに、分解者が息づく根源的な循環へと価値転換するきっかけがあるんですね。

山内泰

私たちが普段当たり前と思っている土俵そのものを捉え直したいのです。そうした価値転換への関心は高まっていると思います。『分解の哲学』の帯を書いてくださった坂本龍一さんは、土に還るCDケースを採用しました。アパレル業界やデザイナー主催の会で「分解の哲学」の話をしたこともあります。コレクションに合わせて大量生産大量廃棄しているサイクルへの問題意識が、業界にはあるのですね。そこで「10年かけて服をつくる」とか「和服の見直し」とか、分解的な服のありかたも議論されました。また建築のコンペで審査をした際、ある若手建築家が「腐っていく建築」を出してきました。

藤原辰史

分解の感覚・感性

クリエイティブな領域で分解的な感性が注目を集めている一方、私たちの日常はまだまだ狭いサイクルに閉じがちです。分解の感覚や感性を培うには、どうしたらよいでしょう?

山内泰

ドイツの教育者フレーベルの積み木の話がヒントになります。フレーベルによれば、積み木は宇宙の摂理を現わしています。積み木では、かたちを成そうと積み上げていき、完璧なかたちができたと思ったら、子どもがバーンと崩してしまう笑。そこでは同じ要素で様々なものが構成されては崩れ、また構成されるが繰り返されます。そうやって戯れることが重要だというんですね。私たち人間もまた、宇宙を循環している分子がたまたま集まったもの~生物学者福岡伸一さんの言葉では「分子のよどみ」~として成り立っています。そんな摂理を体感できるのが積み木なのですね。

藤原辰史

積み木で「つくる」と「ほぐれる」の双方と戯れることで、完成品とか完全さへの感覚も変わってくる感じがします。

山内泰

最近読んだ『皮膚、人間のすべてを語る 万能の臓器と巡る10章』([著]モンティ・ライマン)も面白かったです。それによれば、皮膚はミステリアスな世界です。でこぼこしてて、奥のほうまで空気が入り、微生物が住み、免疫細胞も活躍している。皮膚は人間なのか、空気なのか、微生物なのか…。ある意味土壌と似ていて、皮膚に住む微生物が皮膚の破片と汗を食べてくれていて、糞をしている。それによって肌のうるおいが保たれています。個体を区別する輪郭は、実はぼけているんです。そんな現実を知るのもヒントになるかもしれません。

藤原辰史

私たちの身体がすでに、生産-消費-分解という根源的な循環に属しているということですね。

山内泰

ただ一方で厳しい現実もあって、それは人間には葉緑素がなく、光合成によって二酸化炭素から酸素と糖分を生み出せないということです。植物にもっと敬意を持つ必要がありますね。一方で私たち人間にできるのは、ちゃんと分解の一部を担うことです。そんな視点から、市場の循環モデルをもうちょっと広げて、柔らかく捉え直す哲学(論理構成の転換)が大事だと思います。

藤原辰史

(2022年7月7日オンラインにて 聞き手:山内 泰/大牟田未来共創センター 理事)

1 2

藤原辰史

京都大学人文科学研究所 准教授
「食べる」から歴史を組み建て直す。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員