Sustainability Deep Dive
Vol.4 分解から考える「サーキュラーエコノミー」を超えて (1/2)
Vol.4 分解から考える「サーキュラーエコノミー」を超えて

藤原辰史

京都大学人文科学研究所 准教授
「食べる」から歴史を組み建て直す。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

「サーキュラーエコノミー」が大きな注目を集めているように、自然の循環を踏まえたビジネスが求められています。では、そこで念頭に置かれる「循環」とは、一体どういうことでしょうか?今回は、「食と農」に関する歴史や思想の研究で様々なメディアから注目される京都大学人文科学研究所藤原辰史さんをゲストに「根源的な自然の循環」を考えます。

「分解」から見えてくる循環の世界

生産・消費・分解:根源的な循環

藤原さんは「分解」というキーワードから、私たちが素朴に前提している経済や自然の捉え方を揺さぶる面白い議論を展開されています。最初にまず「分解」とは、どういうものでしょうか?

山内泰

生物学のひとつに、動物や植物などの関係性を扱う生態学があります。生態学では、次のような3者の循環を考えます。まず「生産者」で、これは太陽光を浴びて光合成を行い、二酸化炭素と水を吸収して、酸素とでんぷんを生み出す植物のことです。一方「消費者」は、植物が生み出したものを食べ、排せつするなど動物をイメージするとよいでしょう。そして枯れた植物や死んだ動物など生産と消費から生まれたものを細かく分解し、植物に必要な養分へ戻してくれるミミズやバクテリア、微生物など「分解者」がいます。こうした循環を考えると、「分解者」が非常に大きな役割を担っていることがわかります。

こうした循環のなかで「分解」に人間はどう関わっているでしょうか?例えば農業。作物を作るところが注目されがちですが、実際には土壌を作ることも重要です。そこでは腐敗した有機物を土の中に巻き込み、分解者たちに分解してもらい、その栄養分を使って植物が育つのを見守る。その点で農業は分解者と関わっています。私たちも日常的に、食事と排泄を通して分解者の一部を担っていますね。

藤原辰史

私たちは普段、「生産→消費→廃棄」という一直線で考え、その中で「廃棄物をどう少なくするか?」と考えがちですが、分解者という視点が入ることで、「生産・消費・分解」という根源的な循環が見えてきますね。

山内泰

植物なしに人間は生きていけませんが、人間がいなくても植物は生きていけます。根源的な循環は、人間に先立ってあるわけですね。ですから「人間が循環をどうコントロールするか」ではなく「循環に人間はどうか関わっていけるか」という課題設定が重要なのです。人文学において人間をどうとらえ直すかは大きなテーマですが、こうした循環への関わり方から考えることができると思います。

藤原辰史

分解における生成・創造

藤原さんが「分解」に着目したきっかけは、どういうものだったのでしょうか?

山内泰

大学院時代に、20世紀初頭に活躍したロシアの画家マレーヴィッチの研究をしてる先輩がいました。『白の上の白』という抽象絵画を代表する作品が有名ですが、最初全く良さがわかりませんでした。でも話を聞くに、マレーヴィッチにとって「分解」が重要だったというのです。彼は芸術を分解/de-compositionと捉え、従来の絵画を解体しつつ、根源的な絵画に戻っていったのだ、と。だから『白の上の白』では、抽象の極みでテクスチャー(絵の具の隆起)という物質性に行き着いたんですね。そんなラディカルさに感銘を受けると同時に、そこに農業と共通するものを感じたのです(笑)。

藤原辰史

単に壊すではなく、既存の何かを解体しつつ組み替えて新たに生み出しているところが「分解」のポイントですね。

山内泰

「ほどく」という言葉は、ぎゅっと固まったものを解いたり、集中した富を施したり、というイメージです。読み解くもまた、本に凝固したものを解く。昨今アンラーニングが注目されていますが、思想家の鶴見俊輔は「学びほぐす」と言いました。生産と言われるものも「ほどく」の視点でみると、ほぐしたうえで何らか別のかたちに整えなし道筋をつけているように見えます。分解を通して、何かが生まれているんです。

藤原辰史

完全性が前提される商品社会

一方、私たちが普段考える生産と消費では、新品・完成品であることが当たり前となっています。藤原さんは著書でも、生産が新品・完成品を目指していることへの違和感をおっしゃってますね。

山内泰

自分用にカスタマイズしたパソコンが一部の蛍光灯のみ壊れたことがありました。その際、自分で部品を買って修理して再び使うようにしたのですが、まるでパソコンの声が聞こえてくる思いでした笑。「壊れるものを慈しむ」というモノへの考え方は、分解者的だと思います。

一方、現在の商品の生産体制では新品・完成品が前提なので、修理コストは高く、故障したら廃棄・交換が推奨されます。こうしたモノへの考え方は、実は人に対する考え方ともつながっていると感じます。私の学生たちの就職活動を見ていても、自らを画一的で完全な労働商品に仕立てるかのようです。でも私たちは誰もが、精神的身体的に完全ではないし、子どもや年寄りなど年代によっても違いますよね。

藤原辰史

たしかに私たちの社会で、ほとんどの商品は完全さが前提で、欠陥は不完全なものとして廃棄されます。その点「分解」は、そんな完全・不完全という二項対立を相対化しているように思います。

山内泰

たしかに根源的な循環では、完全・不完全の構図はありませんね。私たちの社会は、根源的な循環とは異なり、「中枢-末端」のモデルに慣れてしまっているのでしょう。それは放射線のように一方向に流れるモデルです。だから「生産→消費→廃棄」の一方向モデルにおいて「どこをどうするか」と持続可能性や自然との関係を考えるのには強い違和感があります。循環モデルで考える必要がありますね。

藤原辰史
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藤原辰史

京都大学人文科学研究所 准教授
「食べる」から歴史を組み建て直す。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員