Sustainability Deep Dive
Vol.3 「文化人類学」から自然を考える (2/2)
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自然保護のもつジレンマ

トラ保護区における住民の排除

ここまでは人間と自然が対立する中での野生との関係を伺いましたが、一方で自然保護区は、人間と自然の関係がより複雑に絡み合っているようですね。

山内泰

インドにおいて、野生生物の保護は観光や国際評価といった点からも重要な政策のひとつとなっています。私が調査したカルナータカ州・北カナラの国立公園は、ゾウやトラなどの稀少動物が生息する昔からの自然保護区ですが、2008年にはトラ保護区に指定され、管理と保護がいっそう強化されました。そこでは科学的な頭数管理の下に、なるべく人間の影響を排除して自然を保護するという方法がとられています。

ですが、この地域には昔から「クンビ」と呼ばれる人々が、焼畑や狩猟採集を生業として暮らしていました。森はクンビの人々にとっての環世界です。新しく畑を開墾する時には祭祀が行われますし、野生のトラやコブラは神霊として祭祀されています。また、この地域がトラ保護区とされる以前は、儀礼的な集団狩猟は黙認されていました。集団狩猟では、獲物であるスイロクを初めに狩った人が次の村長とされたり、獲物を祖霊に捧げてから集落間で分け合ったりと、狩りと儀礼を通して森や精霊と共同体のかかわりが維持されていました。

ところが、この地域一帯がトラ保護区とされて、森林局による監視が強まったことで、クンビの人々の生活は危機に陥っています。彼らは、「自分たちこそが森を守ってきたのに、今や森から締め出されている」と嘆いています。政府が「自然」の範囲を決めて、自然保護の邪魔になる人間は周辺化される。環境保護が進むほど、地元の人と、その環世界との関係が危機に陥ってしまうという状況にあります。

石井美保

自然保護による排除にどう抗するか

クンビの人々はこうした状況を打開するためにさまざまな試みをしていますが、そのひとつは2006年に施行された森林権法の活用です。これは指定部族をはじめ、伝統的に森に居住してきた集団の権利を保障しようとするものです。一部のクンビは、森への権利を得るために指定部族の地位を得ようとしていますが、それは一面では、近代的な人口管理のカテゴリーに包摂されることだといえるかもしれません。他方で彼らは、自分たちに不利益をもたらすような環境政策に対しては、デモや陳情といった活動も行っています。

さらにクンビの人々は、集団狩猟が禁止される中で、銃を使わずに伝統的な狩猟の「ふりをする」ことで、森での儀礼を存続させています。このようにクンビの人々は、さまざまな方法を駆使し、工夫を凝らして森との関係を維持しようとしています。

石井美保

ケアを通した野生とのつながり

今日の発表の前半では、森林の中に経済特区が建設されることによって、地域の住民と神霊/野生との関係が危機に瀕しているという状況についてお話ししました。また後半では、特定の地域が自然保護区とされることで、森に生きてきた人々と森との親密な関係が阻害される状況をみてきました。これらの事例から、開発と自然保護とは一見対照的にみえながら、実はいずれも地域を境界づけ、分断し、ゾーニングすることで、その土地に生きるものたちを管理・統治し、操作しようとするという共通の特徴をもつことがみえてきます。

これに対して地域の人々は、法廷闘争やデモなどの手段で抗議する一方、儀礼や狩猟の実践を通して土地の神霊や精霊とかかわりつづけ、野生の領域——つまり自分たちの環世界との関係を維持しようとしています。

人間のつくりだした「自然環境」とは対照的に、野生の領域は人間が完全には管理できない不確実性と予測不可能性に満ちています。そうした「野生」は人にとって予測不可能だからこそ、互いにやりとりを続けていくことが必要なのですが、それは言い換えれば、相互的な「ケア」の関係だといえるかもしれません。そこでは人間と野生/環世界との絡まりあいや、ゾーニングでは区切れない生態系との長期的な関係性が重要になります。このように、自然と絶えずやりとりしつつ、適切な距離を保つという共生のあり方は、新型コロナウイルスの蔓延という近年の状況においても、重要な課題のひとつとして浮かび上がってきたと思います。

石井美保

合理性が見落としたケアの層への視点

開発と自然保護は違うように見えても、何を保護する/しないかの価値づけを人間の権力で決めてしまう点では同じで、ローカルな環世界は侵害されるということですね。そこに、クンビの自然人と近代市民的闘争のジレンマもあるように思います。

山内泰

そうですね。そのどちらかとして自己を定位しないと、司法や行政による保護の対象とみなされず、開発への抗議も受け取ってもらえないという困難があります。ただ、そうした近代のアリーナからは外れた集団狩猟の儀礼が、実はクンビの人々にとっては、野生の領域と直接にやりとりする重要な機会になっているんです。

石井美保

自然人として保護されて近代的枠組に乗ることは、支援のための障害者の枠組が、そもそも健常者と障害者の区別を作るのと同じ構造のように思えます。

山内泰

『不確実性の人類学』という本の中で、人類学者のアパデュライは、人に付随するリスクや信用度を量化した上で、それをそれぞれの人の「質」としてしまうという金融市場の仕組みを指摘しています。金融市場とは異なりますが、たとえば要介護認定などでも、スコアに応じた介護度が、その人の「属性」として実体化されてしまうといったことがあるのではと思います。クンビの人々と森との関係性にせよ、介護における人と人の関係性にせよ、現場でのケアの実践には、常に様々な不確実性が含みこまれています。そして、それにもかかわらず、そうしたものを数量化し、カテゴライズすることによって管理しようとする方法には、ある共通性がみられるように思います。それは「合理性のもつ非人間性」ともいえるのではないでしょうか。

石井美保

(2022年6月3日オンラインにて 聞き手:山内 泰/大牟田未来共創センター 理事)

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石井美保

京都大学人文科学研究所准教授
宗教実践や環境運動をテーマに、アフリカのタンザニアとガーナ、南インドのマンガルールで人類学的フィールドワークを行う。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員