Sustainability Deep Dive
Vol.3 「文化人類学」から自然を考える (1/2)
Vol.3 「文化人類学」から自然を考える

石井美保

京都大学人文科学研究所准教授
宗教実践や環境運動をテーマに、アフリカのタンザニアとガーナ、南インドのマンガルールで人類学的フィールドワークを行う。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

石井さんはインドやガーナでのフィールドワークを通して、人間が主体的に自然を変更するのとは異なる関わり方を研究し、自然の「開発」はもちろん「保護」という考え方にも潜む人間優位の関係を問い直されています。一方、「野生」とされる領域もまた私たちの近代社会と無縁ではありません。今回は文化人類学者の石井さんと、自然と人間との共存のヒントを探っていきます。

人間と不可知な自然の絡み合い

人間と自然が互いに働きかける場=野生

石井さんは、自然と人間を二分割する考え方を相対化するにあたり、自然と人間の間で生まれ相互に働きかける領域を「野生」という言葉で説明されています。まずはそれについてご紹介頂けますか?

山内泰

私の研究は、ユクスキュルとヴァイツゼッカーの提唱した「環世界」の概念を手がかりにしています。それは、「ひとつの世界に多くの生物が適応している」という考え方ではなく、それぞれの生きものの生のあり方と相即するかたちで、それぞれにとっての世界が現れてくるという、相互的で複数的な世界の捉え方です。

この概念を参考にして人間にとっての「自然」を考えてみると、「自然環境」と「野生」という、異なるあり方がみえてきます。まず、「自然環境」とは、「自然」と「文化」の二分法に基づいてつくられ、人間によって管理される環境であるといえます。自然保護区などが典型例ですね。それに対して「野生」とは、身のまわりの自然環境をも含めて、人間にとって不可知の領域を指します。それは人間が完全にはコントロールできない、危険に満ちた領域である一方、やりとりの相手としての環世界的な領域でもあります。

石井美保

近代開発に対する野生の力

私が調査したインド・カルナータカ州の南カナラの神霊祭祀では、憑坐(よりまし)に憑依した神霊が村の領主に加護を与え、力を及ぼします。神霊とされるものは野生動物の霊をはじめ、人間にとって不可知の力なのですが、その力を呼び込むことで、村や水田に豊饒性がもたらされるとされています。

ところが2000年頃から大規模開発が始まり、森林の中に経済特区が建設されました。この経済特区の建設に伴い、住民が強制的に土地から退去させられたり、水源が干からびたりといった被害が続出し、開発への反対運動も起きています。その一環として、政府や企業との交渉やデモなどと並んで、「この土地を守りなさい」という神霊の託宣に基づく抵抗運動も行われています。また一方で、経済特区で人身事故が続いたこともあり、企業の幹部が主催者となって、神霊を慰撫するための儀礼が特区内で開催されました。また、工業プラントの中に神霊の社が建立され、祭祀が行われています。

このように、大規模開発によって自然が破壊されていく一方で、危機を通じて神霊の体現する野生の力が感受され、特区の中に多元的な自然が現れるという事態が生じています。こうした状況は、「開発」対「自然」という二項対立よりも複雑な、人間と野生を含めた自然との関係を表しているといえます。

石井美保

人間と自然の絶妙な関係

野生と人間の交渉は一見非合理なことに見えますが、人間の暮らしと野生の間の適切な距離感・バランスが背景にあるのですね。

山内泰

そうですね。野生の領域に棲む神霊とやりとりすることを通して、人間はさまざまな気づきを得られます。それは、自然との間に障壁を作るような関係とは違って、危険でもある野生の存在とあえて交渉し、相手との距離感をはかりながら、絶えず関係を構築しなおしていくような関係です。

村の儀礼で授けられる神霊の託宣はいつも謎に満ちていて、さまざまな解釈が成り立つため、人々は託宣の意味を議論し、いつまでも問い直しつづけます。そうした神霊とのやりとりや、神霊をめぐる人々の絶えざる行為や論争の中で、村落社会の関係性が形成され、変化していくんです。

石井美保

人間と野生を繋ぐ身体感覚のアクチュアリティ

憑坐の発言が野生・神霊と繋がっている。そんな感覚が成り立つ基盤はどういうものでしょう?

山内泰

それは、その土地の歴史性や日常的な関係性に加えて、儀礼の場での独特な音響や雰囲気などを含めた祭祀の全体が、人の身体に働きかける力によるものだと思いますね。南カナラでは、憑坐に神霊が憑依することは「ジョーガになる」と言われるのですが、それは不可視のものが目にみえる存在に「なる」という、移行的で遂行的な事態を指します。

石井美保

それは明晰な認識ではなく、儀礼で体感するものなのでしょう。著書でも「ある」ではなく「いる」と言われています。

山内泰

私はそうした感覚を「アクチュアリティ」と呼んでいるのですが、それは安定的な「リアリティ」とは異なる、遂行的な現実感の生成を意味します。ただしそれは、往々にして制度化され、共有される安定的な「リアリティ」と相補的な関係にあるものでもあります。神霊を祭祀している南カナラの人たちも、近代法や経済制度によって支えられた現代世界を生きながら、同時に野生の領域とやりとりするというような、多元的な現実を生きているといえます。

石井美保

自然の不可知さに触れる

自然からの呼びかけを感じるアクチュアリティを、合理的に自然を管理しようとする近代社会のなかでどう捉えるか。その両義性がポイントなのですね。

山内泰

東日本大震災後の東北地方で調査をしてきた友人によれば、彼の調査地で防潮堤の建設計画が進められた時、一部の漁師さんたちはそれに反対したそうです。彼らは、陸から海を見、海から陸を見ることで自分の位置や状況を確認し、判断している。防潮堤によって海と陸のかかわりが絶たれることの方が危険なわけですね。

南カナラの神霊も危険な存在ではあるけれど、村人たちは関係を絶たずにやりとりをする中で、より大きな災厄を逃れています。この地域では、神霊の憑依や託宣を通して、「マーヤ」と呼ばれる不可視の領域とやりとりし、そのメッセージを受けとることが重視されています。それは言い換えれば、人間の想定やリスク管理などを常に超えるような不確実性へと思いを致すことの大切さを示しているといえるかもしれません。

石井美保
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石井美保

京都大学人文科学研究所准教授
宗教実践や環境運動をテーマに、アフリカのタンザニアとガーナ、南インドのマンガルールで人類学的フィールドワークを行う。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員