公と共と私たち
祝祭の非日常性が公共性を自分事に変えていく (2/3)
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公共性の場を支える私的な物語

一時的な祝祭と持続的な物語・作品

アーレントは著作『人間の条件』の中でも、活動し言論する人と制作する人の二つの関係に触れていて、活動する人には制作する人の助けが必要だとされます。活動をする人が自分で何者か分からないのは、他の人が「この人が言ってるのはこういう意味だ」と異なる観点から意味づけて、物語・作品にするのと関係しているようですね。

これは公共性が活動によって発露される時と、それをどう制作によって持続していくかという問題とも取れます。先ほどのお話は、そうした制作者との関係と重なるお話ですね。

山内泰

私も論文「リアリティとしての《公共性》とその外部」(2011)などでその話を取り上げましたが、アーレントが「公共性」と言う時は、二つの次元があります。一つは先述の「現れの空間」と言われるもの、もう一つは一時的なものを超えた「共通世界(common world)」です。「共通世界」は議論をする場を構築する建造物や芸術作品に喩えられたりもします。物語とは、口頭で話したものを、実際の活字に書き直して、どういう発言をしたか書くことですね。それはメディアや歴史家・ジャーナリストの仕事であり、ある個人の一生を超えて繋がっていくものになります。

祝祭の一時性には、ライブで盛り上がったり、集会やデモで「社会や世界を変えるんだ」と盛り上がっても、その後に何も残らなかったという可能性があります。だから、それをどういう形で残していくかという問題が生じます。

アーレントはその一例としてアメリカ革命を持ち出して説明します。アメリカ革命は戦争まで発展しましたが、自分たちでアメリカの独立性・アイデンティティを構築して、それを最終的には憲法と共和制という形で結実していきました。これはその場に参加した人たちが、その場で終わりでなく、それを持続的・制度的なものに繋げたり、憲法に関心を持つことで成功したからです。それによって後の人も同じ世界を歩むことが出来ました。ただその記憶が失われてしまって、それ自体が残らなくなる可能性もあります。だからジャーナリスト・歴史家それ自体は政治的存在ではないが、その人たちが物語を作ること・何かを伝えることが政治的な土台を作っていく。こうした主張を、アーレントは『革命について』(1963)などで論じています。

この話は重要で、最近はYouTubeなどの再生数が増えて、ワッと盛り上がって色々なものが注目されますが、何年もするとそれ自体が忘れられて残っていなかったりします。それとアーレントの言う制作(ワーク)が違うのは、制作は消費の話ではないということです。今YouTubeに上がっている動画も一時期は人々の関心を集めますが、それが持続的に何か社会を変えるものに繋がっていったり、後々の人に重要なメッセージとして残っていくかどうかは分からないですね。

だから労働-消費のサイクルという人間の動物的な生存とは違う次元で、公的な土台が消費されない形で受け継がれる必要があるでしょう。その中で何が重要で残すのかは、人によって違うでしょうが、歴史の重要性とは、自分たちが今重要だと考える問題のルーツを辿り、その記録や記憶を辿ることができることだと思います。

「祝祭」はコミュニティの物語を呼び起こすものですが、その起源をたどると結構怪しかったりもします。ただそれは、人々がそのお祭りの中で集まって、昔から伝わっている地方の問題・課題を再確認したりできます。無論コミュニティの変化や世代構成など今と昔は違っているけれども、昔から伝えられていた問題を今の我々の中で位置づけていく捉え返し・再確認から、改めて地方のあり方を見つめ直すこともあり得るでしょう。

だから物語と祝祭は別々のものではなくて、繋がっています。もちろん別様に、全くなかったものにアレンジされていく可能性もあるけれど、物語が残されていくことで、別の祝祭に結びついていく可能性もあるということもできますね。

石田雅樹

公共性(パブリック)を生み出す私的な物語の可能性

その歴史や物語・制作が持つ特徴として、一つの歴史に収斂したり、敗者の隠された歴史を掘り出すこととは別に、個人が自分自身の私的なことの中から物語を始めるという可能性について伺います。

石田さんは、隠れたレジスタンスの行動や秘密の外交交渉など公の場に出ていなくても公共的になりうるあり方を指摘されています。それは現れを公共性と考えるアーレントの枠組みとは一見矛盾するようにも思いますが、私的なことから新しい物語を始める公共性の次元について、詳しく伺えますか?

山内泰

「物語の多様性が大事だ」という議論はアーレント研究でも行われてきましたが、たとえ物語がたくさんできても「それは私の話じゃないよね」と見なされると、政治的なアクションに繋がらない、と私は考えています。だから多様性を唱えるだけではなくて、それを自分のものとして捉え直すことで、例えば百年前のこの人の行動は自分が直面している問題と繋がっていて、「これは自分のことではないか」と思えることが重要なのだと思います。

そういう形で人々を勇気づけることもあれば、例えばこれまで信じてきたことを振り返って見ると「実は全く違うのではないか?」と感じて、自分がコミットしていた物語から別のものへ変わっていく視点を提示することもあり得ます。

それは単に大きな物語がなくなって、見失われたたくさんの物語があるのではなく、「どれを自分の物語として引き受けることが可能か」という問題です。それを私の論文では「多様性から可能性へ」と表現しています。

「何が自分の物語」なのかは当事者の問題であり、興味・関心を持ちうる話をどのように伝えていくかは難しい問題です。歴史的な記録、例えば本や雑誌だけでも毎日多くの本や雑誌が刊行されていきますし、もちろんインターネットに上げられる動画なども含めると、一生かけても見ることができない情報が生まれては消えています。しかしその中からたまたま、ふとした時に見つけた物語のフレーズなり動画なりが自分の行動を変えていくことが、ひょっとしたらあり得るかもしれません。そういったものに対する政治的な可能性は、良い方に行くかもしれないし、陰謀論やヘイトスピーチといった悪い方に行くかもしれない。しかし自分の物語を見出す可能性として、そうした経験が重要ではないかと思います。

石田雅樹

世界を問い直す「私的なもの」の可能性

そうした私的で隠れた物語が引き受けられて、公・公共性を変えていくような例として、どんなものをお考えですか?

山内泰

アーレントは、公共空間の話として古代ギリシャでの演説やアメリカ革命の物語を持ち出す一方で、他方ではベルリンのサロンや、またフランスのレジスタンスの話を論じています。つまり、隠れて公的な日の当たらない所でも、世界を変革していく取り組みをアクションと見ています。他方で、当時の公民権運動について全面的に評価したわけではなく、例えば南部での学校の人種統合政策の中で、白人に罵声を浴びながらも果敢に登校した黒人の生徒たちの試みについてあまり評価していません(リトルロック事件)。アーレントから見れば、子どもは大人から保護されるべき存在であって、政治の表舞台で公的な光に曝されるものではないということです。

しかしながらこのリトルロックの生徒たちもそうですが、私的空間に隠されるべき「子ども」であっても世界を変革するアクションとなるものは多数あるように思います。最近で言えば、環境運動活動家のグレタ・トゥーンベリさんなんかもそうですね。また日本の例で言えば、それまで私的空間でケアされ保護される存在とされた重度の障がい者の方——れいわ新撰組の舩後靖彦議員・木村英子議員——が、国政選挙で当選されたことなどもこうした話につながるような気がします。これまで、この人たちは政治的な声は挙げてきたにしても、一般の人たちが目にするように注目する形までは、なかなか行かなかった面があります。それが国会議員として選ばれるということで、体が動かなかったり、コミュニケーションが難しい中でも、当事者でしか知り得ない今の社会の不都合な問題や、変えていくべき論点を説得力を持って伝えることができます。立っている人だと、立っているから気にならないものが、座っていたり寝ている人の視点でないと見えてこないものがありますね。それは異なる視点や複数性に関係してきますので、そういう人たちがパブリックな所に姿を現すことで、これまでの多数派は自分たちの思い込んでいるパブリックが違うのでないか、考えが甘かったということになります。

車いすの国会議員の方は以前にもいらして——八代英太前議員——、その方が当選されて初めて国会議事堂の中でも車いすで移動ができるようにしたらしいですね。特に法律や制度を変えるということになると、ハンデなく育った国会議員が何百・何千時間も話すよりも、ハンデがある方が一言発する方が、すごく説得力があり、重みがある可能性もありますね。その辺は色々と解釈があり、アーレントがこう言っているから間違いだというのではなく、良い方向に解釈し直すということもできると思います。

石田雅樹
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石田雅樹

宮城教育大学教育学部 教授
ハンナ・アレントなど20世紀の政治哲学を研究しています。近年は政治と教育の問題、主権者教育の問題にも取り組んでいます。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員