テクノロジック・リフレーミング

vol.5 人工知能は「人間」を相対化する!?―人工知能の「身体」と日本的文脈の問題

三宅陽一郎

ゲームAI開発者
知の原理を哲学的に探求する一方で、人工知能を実現するエンジニアリングに取り組む。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員

人工知能は「人間」を相対化する!?―人工知能の「身体」と日本的文脈の問題

AI/人工知能はもはや今日の技術であり、様々なかたちで実装されています。一方でその進化・発展を懸念する見方もあるでしょう。人の存在のありかたに着目し、その実感の側に立つ技術のありかたを模索する上で、AIはどう捉えられるのでしょうか?

「知能」のありかたを規定しているのは「身体」だった!?

ゲームにおけるキャラクターAIに携わってきた三宅さんにとって、AI開発は単にアルゴリズムではなく「知能」をつくること。そこで知能を哲学的に探究するなかで、知能の条件に身体があることに気づきます。予め与えられた論理演算に留まらず、自律的に思考する知能は、世界を切り取るフレームを構成し、状況に応じてそれを組み替えていく身体のありかたを前提としている。つまりAIは知能と身体の二重性において捉えられるものなのです。身体を条件とすることは、技術のありかたを考える上でも様々な示唆があるでしょう。

AIはサーヴァント(召使)?それともフレンド(友達)?

一方で三宅さんは、(単純に西洋と東洋を区別できないとしながらも)西洋と東洋の「知」の捉え方/受け入れ方の違いにも着目します。西洋の知は「機能/ability」であり、AIも人間に奉仕するサーヴァント(召使)として位置づくことが重視される。一方東洋における知は「存在/being」であり、AIも八百万的な存在として、いわば友達のように位置づくことに違和感がない。AIは、それが社会にどう位置づくのかという観点からも捉えられるべき問題なのです。

人間を相対化する「他者」としてのAI

AIをいわば生命として実現しようとする三宅さんのスタンスは、技術の暴走を疑問視する立場からは訝しく見えるかもしれません。その点三宅さんは、そうした人間を相対化する可能性をAIに認めます。現代社会の諸課題の背景には、人間の(身体に根差した)知のありかたの閉鎖性・自家中毒がある。それを乗り越える他者の視点は、人間とは異なる身体に根差した知能に見出されうると三宅さんは言うのです。

さらに、人間に固有のものではなく開かれた知能を開発・実装する上で、AIBOや初音ミク、たまごっちを生み出し、それらが自然に捉えられる日本には、大きなアドバンテージがあると三宅さんは言います。日本の技術もまた、こうしたパラダイムにおいて独自の価値をグローバルに発信しうることになるでしょう。

三宅陽一郎

ゲームAI開発者
知の原理を哲学的に探求する一方で、人工知能を実現するエンジニアリングに取り組む。

山内泰

一般社団法人大牟田未来共創センター理事
ドネルモ代表理事
株式会社ふくしごと取締役
東京大学先端科学技術研究センター特任研究員