制御型から自律型へ:「ウェルビーイングの探求」を支える技術のありかた
「なりきる」を支える技術:触覚メディアの可能性
人の実感に寄り添う技術のありかたを、渡邊さんは示唆してくれます。トークで話題となったのは、「なりきること」を支える技術のありかた。つまり「柔道の試合」や「鱧を包丁で切ること」を、その実態を精緻に伝達するのではなく、伝達できる情報をきっかけとして、あたかも同じ体験が内発的に生まれてくるかのように働きかけることです。この「なりきり」をサポートする点で、触覚情報には可能性があると渡邊さんは言います。
自律型テクノロジーとウェルビーイング
渡邊さんは、こうした技術を、規定の状況の再現性を極める制御型のテクノロジーではなく、受ける側の主体に意味や動きが現れる自律型のテクノロジーだと整理します。面白いのは、これはウェルビーイングの話でもあると渡邊さんが指摘している点です。制御型テクノロジーでは、「正しい情報」が受け手に先立って規定されており、受け手はそれを受け取ります。でもそれは個々人に先立って「Well」が予め規定され、これを実現するアプローチと同じでしょう。一方で自律型テクノロジーでは、受け手のそれぞれに個別の体験が立ち上がりますが、これは個々のBeing(存在)を起点にそれぞれのWellが立ち上がるアプローチを示唆します。この後者のありかたをウェルビーイングだと渡邊さんは考えるのです。
「問いのプロセス」としてのウェルビーイングと技術
こうした視点を得ると、ウェルビーイングを実現するテクノロジーは、所与の規範を人に当てはめるものではなく、人と一緒に独自の規範を探究していく伴走型のものとなるでしょう。渡邊さんの実践でも、ウェルビーイングカードのようなメディア的技術を介して「よくわからない私」が表現され、それとの対話を通してその人固有のウェルビーイングが模索されるありかたが提案されています。
トークでは、NTT研究所で実践されているビニールハウスでのセンシングにも、渡邊さんがウェルビーイング的なものを見出していることが話題となりました。そこでは、様々なセンシングが示すデータをきっかけに「どうなることが良い状態なのか」を現場のみんなと模索するプロセスが重要視されています。環境における「よくわからない何か」がセンシングを通して「データ履歴の集積」として表現され、それらとの対話を通して、何がWell-being(良い状態)なのかが探求されていく。こうした「問いのプロセス」をデザインする上で、人間の言語や感覚では捉えることが難しい要素に表現をもたらす技術が、ウェルビーイングを支援する上で、重要な価値を生み出しているのです。