人間に寄り添うテクノロジーは、(事実ではなく)「実感」にフォーカスする!?
「ウェル・ビーイング」から「ビーイング・ウェル」へ。そこで問われているのは、人のありようから離れた理想に人をはめ込む技術のではなく、人の実相に根差した技術です。ではそれはどういうものでしょうか?そのヒントを村瀬さんとの話に見出すことができます。
「私たちのものさし」への問い
高齢者のケアで全国的に有名な「よりあい」。その現場で何より大切にしていることは「年寄りの実感の側に立つこと」だと村瀬さんは言います。「健常」で「普通」だと思っている私たちからすれば、認知症の高齢者のふるまいはおかしくに見える。でもそれは私たちのものさしで一方的に評価しているに過ぎないと村瀬さんは問題視します。
「事実」を伝えても意味がない!?
具体的には次のような話です。あるおばあさんが「おしっこに行きたい」と訴えている。でもそのおばあさんがつけている膀胱センサーではおしっこは満ちていない。ここではセンサーが把握する「事実」とおばあさんの「実感」が対立しています。ここで科学の立場から「(タイミングを正しく捉えられない)おばあさんの間違い」を本人や支援者に指摘しても問題は解決しないと村瀬さんは言います。事実がどうかよりも「おしっこに行きたいという実感」こそが本人にとっては切実な問題だからです。
「おしっこ」から「しりとり」へ
だから村瀬さんたちにとっては「おしっこばかり気にしてしまうおばあさんとどう関わるか?」という課題設定となります。そして試行錯誤から村瀬さんたちは、「おしっこ」を繰り返すおばあさんの発言から「しりとり」をはじめることになり、その結果しりとりに夢中になった本人がおしっこを忘れてしまうという痛快な状況に至るのでした。
テクノロジーを拓く問い
村瀬さんのアプローチは実感の側に立つことではじめて見出されるものです。事実と実感は必ずしも一致せず、事実を伝えるだけでは実感には響かない。何より人は実感において生きている。村瀬さんの実践は「科学的な客観的事実だけではなく、人間の実感にアプローチする技術とは何か?」を鋭く問いかけています。それはDXやUXが直面する問いでもあるでしょう。そしてそれはテクノロジーの可能性を新たに拓くものでもあるはずです。